初代 山西房次郎は、明治20年(1887年)高知市農人町に菓子屋(山西金陵堂)を創業する際、看板菓子として【松魚つぶ】を発案したといわれています。松魚つぶの【松魚】は鰹のことで、【つぶ】は土佐の方言で飴の意味する言葉であり、松魚つぶは、その名のとおり 肉桂(シナモン)をつかった飴で土佐名産の鰹生節の形・色を模した工芸菓子として誕生しました。この時代 砂糖はまだまだ高価なもので、高級菓子としてもその名は広まることとなりました。やがて明治から大正・昭和と時代は流れいつしか《土佐銘菓松魚つぶ》として平成の今日まで120年余りこの素朴なニッキ飴は、そのユニークさとともに皆様に愛され続けております。
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